Frigidus Symmetria

Veram Solutio (真解):Dies Irae (怒りの日)

BGM: "Dies Irae" by Mozart
下の再生ボタンを押すと音楽が流れます。


涙で濡れた目で、虹を怒りながら睨みつけた時、ようやく真の解を見つけた。
他の解の四則演算(+−×÷)と根(n√)だけでは、決してたどり着けない解。
概念そのものを変えなければならない。それは、自分自身の定義を取り除くだけではない。
所詮、それは変数変換と同じで、目先を変えただけで本質は変わっていない。
本質の捕らえ方を変えよ。四則演算と根の概念を超えよ。
その先にある解は、ガロアの様に生前は理解されず、死後に理解されるかもしれない。
否、それすらなく、永久に理解されないかもしれない。

観測だ。まず、観測し記録しない事には如何なる理論も打ち立てられない。
ティコ・ブラーエの肉眼による膨大な観測データがあったからこそ、
ケプラーは三法則を発見し、更にその法則をニュートンが万有引力で説明したのだ。
肉眼でしか認識できなかった光も、望遠鏡の発明で遠くまで見えるようになった。
更に、私達の可視光を超え、赤外線、紫外線まで測定可能となった。
観測の目は開いていく。

それゆえ、私は観測し、記録しよう。感情を捨て、その目で、できる限り全てを観測するのだ。
様々な観測機器を従え、コンピューターという参謀を連れて、ラプラスの悪魔の如く。
自然法則を知り、利用するために。
データを解析する為に細かく分ける。
それは、アルキメデスの取り尽くし法に始まり、ニュートンとライプニッツの微積分となり、コーシー等によるε-δ論法で更に厳密になった。
還元主義こそが科学の真髄だ。

Ipsa scientia potestas est
知は力なり

私自身に法則は見つけられないとしても、後世の者が、記録という巨人の肩に乗って、法則を発見するだろう。
未来の者が手にするのはラプラスの目かもしれないが。
知識の為ならば、喜んで捧げる。
オーディンの様に片目を。それでも足りない?
両手、両足、胴体全て捧げよう。ミーミルの如く首だけになろうとも構わない。
それとも、ウィリアム・ブレイクの『ニュートン』の様に、海底で物質と融合してでも、知識を求め続けようか?

願わくば、法則を打ち破らん事を。

∴ Natura delenda est
故に 自然滅ぶべし

Quod Erat Demonstrandum
証明終了



Dies irae, dies illa
怒りの日、その日は
solvet saclum in favilla:
(希望の)灰の中から解いた日
teste Newton cum Principia
ニュートンのプリンキピアによる証明の如く
Quantus tremor est futurus
何時まで震えている?
quando judex est venturus,
裁きの時はいつか
Natura stricte discussurus.
自然を厳しく破砕するのは